学校生活ブログ

校長講話

2018年10月24日

10月22日に校長講話が行われました。高遠中学校では、今週から人権教育強調月間が始まっており、講話の内容も人権をテーマとしたものとなり、学校長から話がありました。

 

始めに栃木県の小学校の先生である南沢創さんが歌っている、「生きる」を聴きました。南沢さんは小学校のころからだんだん目が悪くなり、今ではほとんど目が見えません。しかし、音や人の気配で周りの様子を確認することができます。現在は日本と韓国の視覚障がいがある教員交流事業を日本側の中心になって進めています。また、同じく全盲だけれども世界的に活躍するピアニストの辻井伸行さんについて紹介しました。

「視覚障がい者と呼ばれる2人ですが、とてもすぐれた仕事をしています。このとき、「障がい」ってなんだろうと考えます。社会生活をを送るうえで不自由なことは多いと思います。しかし、人として劣っているわけではなく、実際には、むしろすぐれていることが多くあり、色々な能力を身に着けている人がたくさんいます。

しかし、「障がいがある」ということだけで、日本では差別されてしまうことがあります。なぜ差別されてしまうのか考えたとき、見た様子がほかと異なること、できないことが多いこと、「かわいそう」や「気の毒」といった、自分より下に見る心を持った人が多くいることだと思います。

でも本当にそうなんでしょうか。環境を整えれば力を発揮してもらうことができますし、実際にすぐれた能力を発揮している人が数多くいます。そういう人たちを本当に差別していいのか考えたいと思います。

障がい者への言葉がけや行動に私たち自身の意識が見えてきます。だからこそ、自分自身を振り返って自分は実際どういう対応をしていくのか、考えていってほしい。

ところがそれを考えない人たちは、人を傷つける言葉を投げかけ、「障がいがあるとは知らなかった」とその場をごまかしてしまいます。しかし、「知らなかった」ではすまないのです。差別心を基にして発した言葉は人を傷つけ、発した言葉は元に戻りません。それだけ言葉には力があり、心に残った傷はなかなか消えず、一生残ってしまうかもしれません。

高遠中学校は、全校で目指す姿のひとつに「挨拶愛語」があります。これは言葉のもつ力が大きいから一番初めにとりあげられています。挨拶は相手の存在を認めないとできず、愛語は相手の立場に立たないとできません。今までの自分は、これからの自分はどうなのかよく考えてみてください。

相手の存在を認めないと先に挨拶はできず、相手を大切にする気持ちがないと大きな声で挨拶はできません。「挨拶愛語」は人権尊重の第一歩です。挨拶が飛び交う学校にしてほしいと思います。得意なこと、苦手なことも含めて、まるごとがその人自身だということを認めていってください。だめな人は1人もいないということをもとにして相手を認め、相手の立場に立った言葉をかけていってください。」