いつからかはわかりませんが校長室にこの額が掲げられています。「残香」と揮毫がされていますが、これを書かれたのは毛涯章平という先生です。毛涯先生は飯田市に生まれ、長野県の学校教育に大変ご尽力された私たち教員の大先輩です。生前たくさんの著書も出されています。実は毛涯先生は校長先生としてこの髙遠の地にもいらっしゃいました。(当時の藤沢小学校)
ところで、毛涯先生はお話をされる際、よくこの「常に一流たるをめざせ」と児童生徒や先生たちに語られました。著書の随筆「道通し」(信濃教育会出版)では、毛涯先生はこの言葉について次のように述べられています。
『思うに、「一番」とは一人のみが達し得る座であり、「一流」とはすべての者が至り得る境地である。・・・(中略)・・・試合に負けても一流のチームはある。成績の順位は少々低くても、一流の生徒は確かにいる。「一流」には誰でもなれると述べてきたが、それは「誰もが一流たり得る可能性をもっているということである。この可能性は、物事に全力でぶつからないと出てこない。気がつかずに終わってしまう。この「一流」とは、その人の心のあり方が、その人の行為が「一流である」ということである。そのためには、日常の小さな行為を、ここぞという時に、いい加減にしてはならない。(後略)』
さて、明日からいよいよ中体連大会夏季大会がはじまります。本年度北信越で行われる全国大会の決勝まで勝ち進んだとしても8月24日で全ての競技は終了となります。最後まで勝ち残るのは1チームまたは1人なので、多くの中学3年生は長くてもあと2ヶ月の中で引退を迎えることになります。(もちろん高遠中のみなさんには1つでも多く勝ち進んでほしいです!)
そう考えると、まず明日の1日、1試合にどれだけ本気で臨めるか。そのために、どんな心構えで、どんな姿で、どんなふうにその日を過ごすかが大事だと思います。選手として出場する人、ベンチやスタンドから応援をする人、控えやマネージャーとしてサポートする人、それぞれがそれぞれの立場で常に一流をめざしてほしいです。おそらく、みなさんが日頃から大切にしている気持ちよい挨拶(挨拶愛語)や、黙々と清掃する姿(清掃不言)、率先して働く姿(花作相見)、互いに協力しあう姿(歌声響合)を試合会場でも発揮できたら「一流」に近づけるはずです。
最後に、試合には勝ち負けが必ずあります。しかし、たとえ一番はなれなくても、一流にはなれます。そんな「一流をめざして全力で戦う高遠中のみなさん」を応援しています。頑張ってきて下さい!