12月18日に、今年度3回目となる校長講話が行われました。高遠中学校では今、『縦割り清掃』を実施しています。普段は学年別に分担している清掃を、学年の垣根を越えて分担して行っています。今回の講話では校長室の床の写真から始まりました。
「校長室の床は清掃の時間のたびに掃除分担の3年生の生徒が磨き上げ、徐々に本来の色を取り戻し、黒っぽかった床が明るい色になりました。校長室掃除の人たちの努力の結果、とてもきれいになりました。校長室内のソファや机も動かしてきれいにしてくれました。縦割り清掃が始まる前にきれいにしようと計画を立て、進めた結果です。
重点目標『高遠の子』の一つ、『清掃不言』は一心に取り組み、自分の心と向き合い、床とともに自分の心も磨いていくことです。ただ黙って掃除をすることではありません。『不言』の次には『不言実行』という言葉が続くと思います。ただ黙ってやるだけではなく、自分の心と向き合って、どれだけ気持ちを込めて実行するかということが大事な意味だと思います。
そして、『清掃不言』は頭脳活動の第一歩だと思います。考えなければ、先ほどの校長室の掃除は黒くなってきたことに気付き、考え、ここを磨こうと、計画的に取り組むことが頭脳活動なのです。今取り組んでいる縦割り清掃は高遠中の『清掃不言』の心を伝えていってくれているのだと思います。どのように伝え、何を残していくのか、また、3年生の思いをしっかりと受け止めていくことができるか、ただ集まって掃除のやり方を教わるだけではなく、3年生から多くのことを学び、受け継いでほしいと思います。
これは人と人との関係も同じです。人に対する接し方、言葉の掛け方、行動の仕方などです。ここで出てくるものは形はなく、しっかりとした思いであったり、考えといったものが背景にあります。先輩たちから引き継ぐのは形ではなく、その心、精神といった高遠中が大事にしてきたものです。3年生から2年生、1年生に引き継ぐには、あと3ヶ月と少ししかありません。生徒会の引継ぎもあり、それをチャンスにしっかり学び、聞いておくことが大事になると思います。
校長室掃除だけでなく、他の場所でも一生懸命取り組んでいる人がいます。そんな皆さんの姿を見ていて思い出したのが『随所に主となれ』という仏教の禅の言葉です。自分がすべきところで精一杯取り組めという意味です。今年、清掃以外でもたくさんその姿を見ることができました。花壇の水遣りや、一人ひとりが頑張らなくてはならない合唱などです。また、目立たないけれど、誰かがやってくれていることがたくさんあります。それを当たり前と思わず、感謝の気持ちを持ち、気付いてほしいと思います。危険箇所の細かい地図を用意してくれて先生や、毎日落ち葉をきれいにしてくれている先生、校長室を始めとしたあちこちに花を生けてくれている先生など、色々なところに誰がやってくれているかわからないものはたくさんあります。自分が精一杯取り組んでいることをしっかりやることで高遠中をよくして、自分を高めていくことになります。逆に人のことを馬鹿にしている人に自分を高めることはできません。自分だけよければよいのではなく、友達を高め、一緒に高まる。自分はまだまだ足りない、もっともっと伸びなければいけないという気持ちをもって、今できることを精一杯して自分自身と高遠中を高めていってください。」