校章の由来
「学校日誌」によると「明治四十三年八月廿(にじゅう)七日、伊那山六来校、当校徽章一千個注文す」とあり、右図のような図案が記されている。この意匠は誰の考案かわからないが、東春近の「東」の字を図案化したもののようである。
当時この校章を、男子は帽子につけ、女子は頭へかんざしとしてさした。しかし、男子はほとんど帽子をかぶらなかったので、修学旅行、免状式につける程度であった。
昭和10年4月26日の職員会に「校章ヲ改定スルコト」の議題が提出されたが、その結果は不明である。
昭和28年、現在の体育館が小中兼用に新築され、その西側の壁に紋章が画かれているが、これは大正14年制定の村章である。
昭和37年4月、時の小田切蔦雄校長は、「東春近小学校の生徒である」という自負をもたせるため校章はきちんとつけること、という方針で、4月6日の職員会に「校章改定」の議題が提出され、いろいろと議論をたたかわした末、新谷教諭が図案作成にあたった。
その時の構想が、職員文集「東春近」第22号に次のように書かれている。
−前略−太陽の光芒の下にある左右の山と下部の川がまとまって一つのハート形の美しさとなり、それが若い心から輝き出す光となるよう表現したい−後略−
ここに3度目の校章が誕生した。
<東春近小学校沿革誌(開校100周年記念誌)より抜粋>